タスマニア再訪

            髙木 八太郎(元朝日新聞編集委員)


 

 オーストラリアのタスマニア島に、ことしもまた馬に乗りに行ってきた。昨年の2月に続いて二度目である。

 南半球の真夏の真昼、カンタス航空のジェット機が首都ホバートの空港に着陸したとき、「ああ、また来てしまったな」と、ため息のようなひとりごとが出た。

 なんとなく、ずるずると来てしまったように思えたのである。こんなあいまいな気持ちで外国に旅することは、あまりない。いつもは、はっきりした意思と計画を持ってでかける。今回は違った。

サイモン・キュービット氏と筆者

 空港のロビーで、サイモン・キュービット氏らが出迎えた。マウンテンキャトルマン(高地牧畜業者)の六代目で歴史学者、もちろん乗馬の名手であり、フリーダム・ライディング・クラブの海外会員でもある。前回、食事の世話をしてくれたフランス人女性レリアはいない。彼女はアメリカからハガキをくれた。「ふた月半、コネチカットの

小さな湖のサマーキャンプでヨットを教えていました。これからはアメリカ横断の旅をします。ガイドの仕事を見つけたい・・・」。もうここにはいないと知ってはいたが、やはりちょっと寂しい。

 ホバートの郊外にあるロバート・ブランド氏の家へ行った。ロバートは州開発公社の総裁をつとめたことのある実業家だ。十九世紀の石造りの廃屋を買い取って数年かけて直し、住んでいる。前にもお邪魔して御馳走になった。

 ロバートが足早に出て来て、再開を喜ぶ。私が礼状とともに送った写真をポケットから取り出して見せる。石の塀でかこんだ中庭に小さな木戸がある。私はそれが切り取る外庭の眺めが好きだ。この写真も送ってあった。「ここだ。覚えているか」と指し示した。

 牧草だけで育てた牛の霜降り肉や、彼の会社で作ったスパークリングワイン「ヤンツ」が出た。ヤンツは、島の発見者である十七世紀のオランダ人航海者タスマンの名前からとった。旗艦の艦名「ヘミスカーク」とつけた赤ワインは、秋の森の空気のようなフレイバーをもっている。

 食事中、サイモンが微笑しながら私に、「なぜまた来てくれたのか」と質問した。この前、再開を約して別れたが、まさかこんなに早く来るとは思っていなかったのかもしれない。かなり正面切って、理由を聞いてきた。

 なりゆきまかせで来たようなわけで、その間の心の動きは自分でも分析できていないし、ここしばらく英語を話していないので舌がうまく回らない。「あなたと馬に会うためさ。それにヤンツがまた飲みたくなったから」と受け流した。「なぜ二度も来るほど、こんな世界の最果ての島がいいのだろう」。サイモンたちには、それを知りたいわけがあったのだ。

ボラデイルの小屋 (画:筆者)

 今度行ったインド洋に面したオーシャンビーチは、乾燥した快晴のせいで、数十キロ彼方まで見えた。人影がない。堤防や小屋など一つもない。原始の姿そのままに見えた。ゴミがない。ゴミを捨てない教育が徹底しているし、北半球の海でうんざりするほど見かけるプラスティックの浮遊物も、ここまでは届かないようだ。

 終戦のときに十歳だったから、戦前の貧しいけれど清潔な日本を覚えている。そのころの日本にもあった清潔な山野や田園が、まだここには豊潤に存在し、日本に暮らしていると溜まってくるある種の渇きを癒してくれるようだ。それに、心のあたたかい人々が少なくない

 でも、清潔さと明澄さだけなら、南極にも蒙古高原にもある。これだけでは、タスマニアに強くひかれる説明にはならない。

 ここでこちらの琴線に触れてくるもう一つのものは、風景のサイズである。山、川、平原、浜辺などが、大きすぎも小さすぎもせずに、組み合わさっている。

 しかも、穏やかなのだ。モンブランなど、ヨーロッパ・アルプスの中心部を初めて見たとき、あれほど憧れていたにもかかわらず、威圧感から落ちつかなかった。むしろ、ずっと東のサンモリッツ付近の高度の低いエンガディンの山々の方が気にいった。あのときの感覚に似ている。

 タスマニア旅行の目的は、もちろん馬に乗ることだ。タスマニア・クォーターホース

をはじめさほど大きくなくてたくましく、複雑な地形の山野を動くのに適した馬が多い。

牧畜業者たちが改良を重ねてきたのだ。敏捷なのにおっとりしていて、物を見て跳ねるようなことはほとんどない。岩だらけの斜面も、どうということはない。そしてなにより、駆けるときはよく駆ける。こうした馬に、膝休めのついたオーストラリアの鞍を置いて、山野や海辺を乗り回す楽しさは、うまく言いあらわせない。

 オーシャンビーチでの駈歩は、これから毎日思い出すことになるに違いない。リーダーのリズ・ハマーが貸してくれたのは栗毛の牝馬で、ほかの馬とくらべると大きいものの、サラブレッドほどではない。滑らかで、力強く、どこか抑制のきいた駈歩をした。

 リズは「この馬は、あたしにとって馬じゃないの。友達なの」といった。帰途はリズとくつわを並べ、歌を交換しながらゆったりと馬を進めた。

 

 島での楽しい時の流れの合間に、うなじのあたりに、ふと冷たいかたまりを感じることがある。昨年、飛行機がバス海峡を越えてタスマニアの海岸線が見えてきたときが、最初だった。

 かつてこの島に数千人住んでいたといわれる原住民タスマニア・アボリジニの運命を思い出したためである。彼らはこの隔絶した天地で木の棒や石器を使い、狩猟採集の生活をしていた。そこに白人がやってきた。白人は彼らの絶滅をはかった。明治維新の少し前には、軍隊を使って人間狩りをしている。私の曾祖父たちの時代だから、それほど古いことではない。1876年に最後の女性が死に、一つの民族が絶えた。今は、混血した血がわずかに続いているだけだ。舞台が美しければ美しいほど、むごたらしく思える。

 人類の歴史は、戦争と迫害と虐殺の連続だ。まだ続いている。世界中どこへ行っても、惨劇の舞台はある。説明を受けても、たいていは歴史の知識がまた一つ増えたぐらいにしか思わない。しかし、なぜかタスマニア・アボリジニの悲劇は、私の頭の中に変なかたまりを作っている。

 たぶんタスマニアの風土が発しているなにかの周波数が、私の心の根っこの一部に同調しているせいではないか。とくに、明るい草原とユーカリや松の疎林との組み合わせがたまらない。ぼーっと見ていると、「ずっと前に、ここにこうしていた」というおかしな気持ちに襲われることさえある。輪廻転生を信じているわけではないが、もしかしたら、中央高地のどこかに暮らしていたことがあるのかもしれない。

 来年もまたずるずると行くことになるのだろうか。

ボラデイル高原で

著者略歴(原稿発表時、筆者によるもの)

 学生のとき中国西北部新疆の仏教美術研究を志したが、当時の情勢から「生きているうちは現地へ行けないだろう」といわれ、朝日新聞記者に転じる。南極特派員(第九次越冬)、編集委員などをつとめ定年退職した。乗馬との縁は、北アフリカの海岸で、疾駆する騎馬の人々を見てから。十年ほど前から、千葉県の柏乗馬クラブで指導を受けている。馬術は初心者で、上達はほぼあきらめている。でもあちこちで馬に乗ろうとたくらんでいて、FRCを知って入会した。メキシコのグアダラハラ、スペインのヘレスデラフロンテーラで乗ることを次の目標にしている。山岳部(東大)OBなのに現在は高所恐怖症で、タスマニアの原生林の展望台では足がすくんで震えていた。1935年、東京生まれ。

 

FRC会報誌 Freedom Riders Vol.5 1997年春号に掲載

フリーダム・ライディング・クラブ 

Freedom Riding Club

〒222-0032 

横浜市港北区大豆戸町981
TEL:045-541-0467

      090-3048-8828(田中)
FAX:045-543-2624
Mail:frc.freedomridingclub@gmail.com

  • IMG_5425
  • Facebook - Black Circle
  • Facebook Social Icon